サシモニ

サシ飲みがあるなら、サシモーニング(略称サシモニ)があっても良いじゃない

新たな道を切り拓くダンサーは昔パン屋を目指してた

今回のサシモニのお相手はダンサーであるOBAくん。鎌倉出身の彼が立ち上げたKAMAKURA DANCE FESTIVALの手伝いを少しさせてもらっている関係もあり、OBAくんについて色々と伺ってみました。ダンスの世界で有名人の彼は海外のダンスコンテストで優勝したりする一流ダンサー。ダンスはもちろん、昔なりたかった職業の話とか面白い話も盛りだくさん。ダンスって普段全く接点のない業界。やっぱり知らない世界の話は面白いです。ぜひご一読ください!

f:id:sashimoni:20140926183716j:plain

いきなりの挫折

現在は小学校の授業でも取り入れられるほど身近になったダンス。OBAくんはどのようなキッカケでダンスを始めたのでしょうか。「ダンス歴は14年になりますが、中3の始めくらいからやりだしました。兄の先輩にダンスが上手の人がいて教えてくれたんです。兄はラッパーでヒップホップ関係の人達が周りにいたんですよね。」なるほど。兄弟からの影響って受けやすいですもんね。ずっとダンス一筋なのですか。「中学生のときはスケボーを熱心にやっていましたね。2年~3年やって大会でも表彰されたりしていました。今ではスケボー界で有名人となっている後輩がいるのですが、当時まだ素人の彼にスケボーを教えたら2ヶ月くらいで一気に抜かれてしまって。才能の違いを感じて、他の世界を探すようになりました。」いきなりの挫折ってやつですね。確かに自分が2年、3年と経験して出来るようになったものを数ヶ月で抜かされるのは、かなりの衝撃ですよね。凄く気持ちわかります。

ダンスとの出逢い

スケボーで挫折してダンスの世界に進んでいったわけですが、どのようにダンスを学んでいったのでしょうか。「最初は先輩から教わりながらも、ヤマハのダンススクールにも通うようになりました。当時は強くなるために少林寺拳法をやるか、ダンスをやるか二択で考えていたんです。ダンススクールの初めて行った帰りに母親から「ダンスなんてよく分からないものではなくて少林寺拳法をやりなさい。」と言われました。この時のことを今でも覚えているのですが「俺はダンスの天才だからダンスをやる。」って言ったんです。始めたばかりで下手くそだったんですけどね。この日の夜から家に帰ったらずっと踊るようになりました。」面白いな。ピンとくる何かがきっとあったんでしょうね。それにしても、なぜダンスに熱中したのでしょうか。「スケボーとダンスに圧倒的な違いがあったのですが、スケボーは板がないと何もできない。自分次第だけど道具次第のところもある。スケボーと自分はそこの関係性が上手くいきませんでした。ダンスは自分の身体と音楽があれば良いだけ。音楽も大好きだったし、練習すれば練習するほど自分の身体に反映されていく。昨日より、今日。今日より明日の方が上手くなっていく感覚があるんですよね。」確かに音楽と身体一つで出来るダンスって自分自身の全てを使った表現ですもんね。面白いものです。

f:id:sashimoni:20140926183605j:plain

子供の頃の夢はパン屋

中学3年生でダンスと出逢って、それからは一直線にダンス道だったのですか。「そんなことないんです。というのも昔からパン屋になりたかったんですよ。魔女の宅急便で見た強くて渋いパン屋さんに憧れて。高校も東京の小平にある国際製菓専門学校に自宅から片道2時間かけて通いました。」自宅から2時間かけるって。かなり本気でパン屋を目指していたんですね。「自分で言うのもアレなんですが、優等生だったので2年生の時点で卒業後にドイツのホテルのパン部門に修行に行くことも決まっていました。」なるほど。もう完全にパン屋への人生が進んでいる感じですね。それが、またどうしてダンスの道へ転身したのでしょうか。「学校があった小平の近くに立川という場所があるのですが、そこにダンサーが集まっていました。西東京の有名ダンサーが集まる場所で、そこでのめり込んでいったんです。」面白いですね。パン屋の世界に行こうとしたらダンスの世界がさらに開けたわけですね。パン屋に踏ん切りつけたキッカケはあったんですか。「学校の恩師にパンとダンスどっちが狂えるかと問われたんです。パンの世界で一流になりたかったら、ダンスを趣味でやっている余裕もないぞと。どっちも中途半端にならないために絞るしかない。それで「ダンスです。」と答えたらメチャメチャ怒られました。」将来有望なパン職人候補だったんでしょうからね。先生の気持ちも分かります(笑)

 

ダンス留学

パン屋ではなくダンスの道を選択したわけですが、高校卒業後はどうしたのでしょうか「ニューヨークにダンス留学しました。父親に相談したら「やるからには本場でやるほうが良い。」と言われて後押しされたこともあって。」確かにダンスの本場ってニューヨークのイメージありますもんね。実際に行ってみたらどうだったのですか。「みんな下手じゃんと思ってショックを受けました。アメリカは世界で一番目か二番目にストリートダンスで強い国です。ただ、ジャンルによっては日本人の方が上手い。ハウスダンスはニューヨークがズバ抜けているのですが、僕がやっていたポッピングダンスはLA発祥ということもあり、ニューヨークでは決して上手な人が多くなかったんです。」へぇ、ジャンルによって様々なんですね。やっぱり未知の分野の世界の話は分からないことが多いです。その後どうしたのでしょうか。「有り難いことに、自分が通ったダンススクールにLAでポップダンスを生んだオリジネーターの一人が先生として学校に在籍していました。それで2年半ひたすら先生から学びながらポップダンスをやりました。」それは幸運ですね。どのくらい練習するものなんですか。「寝る時間を惜しんで1日最低12時間は練習しました。学校でレッスンを受けまくって、ジムの深夜パッケージを借りてスタジオで朝まで練習。やればやるほど自分が上手くなっていく実感と、努力が報われる回数が半端なかったです。」いいですねぇ。やればやるほど上手くなる。何事もこの感覚が培われると強いですよね。

 

日本人とダンス

さっきの話で気になったのですが、日本人の方が上手いダンスのジャンルがあるというのは、果たしてどういうことなのでしょうか。「ストリートダンスの中で日本人が一番上手いのはポップダンスです。筋肉を一つ一つ意識して動かすイメージですね。ハッキリ言ってオタクダンス。筋肉を動かして止まらせるとか、職人的な世界です。日本人は細かいし精度が高い。日本人の性質に凄く合っているダンスですね。」なるほど。確かに話を聞いていると日本人に合いそうですね。逆に日本人が敵わないのはどんなジャンルなのでしょうか。「ヒップホップダンスやハウスダンスは次元が違うレベルでアメリカ人は凄いです。やはり黒人のグルーヴ感とか真似したくても出来ないものがありますね。」確かに僕も1年ちょっとサンフランシスコに住んでいたことがあるので分かるのですが、向こうだと黒人のおばちゃんとかでもメチャメチャ普通に良いノリで踊っているんですよね。あれは人種の違いを感じざる負えない経験でした。

f:id:sashimoni:20140926183626j:plain

アメリカでの結果

ニューヨークに2年半いた際に大会にも出たのでしょうか。「ニューヨークのダンスバトルの大会で優勝することが自分の中で目標でした。1年目はなかなか結果出せなかったけど、1年半くらいして結果が残せるようになりました。ニューヨーク以外の地域でもダンスバトルで優勝しましたよ。」おぉ。それは凄いですね。本場で優勝するとか並大抵のことじゃない気がします。「アメリカでは完全実力主義なのが良かったです。同じダンスバトルでも日本の場合だと有名人が勝ったりすることがあります。でも、アメリカでは肩書とか関係なく、上手いかどうかだけの実力主義。やればやるほど結果が出るのが快感になりました。」結果が出ると自信もつくし、良いスパイラルですよね。そのまま海外で活動するのではなく、日本に戻ってきたのはなぜなのでしょうか。「海外でやるか、日本でやるか悩んだのですが、世界の中でも日本。特に大阪はレベルが高いので、まずは日本を網羅して外に出ようと考え日本に戻ってきました。」確かに日本がそれだけ実力がある国なのであれば、まずは足元から固めるって大事なことかもしれませんね。

ダンスでの挫折

なんだか今までの話を聞いているとメチャメチャ順調なように思えるのですが、ダンスの世界では挫折経験はなかったのでしょうか。「あります。ニューヨークに住んでいたときですがTOSHIってダンサーがいるんです。彼は日体大出身でLAに当時いたのですが、バケーションでアメリカにきてフラっとダンスを始めた人間なんですよ。」「B-BOYSサミットという全世界のダンサーが集まる大会があるのですが、僕はアメリカ生活の最後に大会に出て優勝したかったんです。いざ出場したら僕は予選落ちして、TOSHIが優勝したんです。」そこまで懸けてた大会での結果として、相当悔しかったでしょうね。「半年やった人間に負けて、俺の2年半は何だったんだ。という気にもなりました。中学生のときスケボーで天才が現れたときと同じ衝撃です。」そりゃそうだわな。その悔しさはどう変わっていったのですか。「すぐに知人を通じて紹介されてTOSHIとは仲良くなったんですよ。それで同じ時期に日本に帰国して、フリースタイルセッションという日本の大きな大会に一緒に出たんです。2人とも知名度が全くない中で僕はベスト4に入れて、トシはベスト8に入りました。それからずっと仲良くやっていますね。」「何百人といる中から予選突破のベスト16に入ることが先ず大事だったので日本に帰国したスタートとしては幸先良かったですね。」おぉ。2人して日本に戻って結果を出したわけですね。メチャメチャ良い感じですね。

 

ダンサーの仕事

ストリートダンスの世界で活躍している人が働ける場って全然想像つかないのですが、どういったものがあるのでしょうか。「帰国してからはインストラクターとしてダンスを教えたり、ショーケースといってクラブで踊ることや、舞台に出演することを仕事としていました。」インストラクターか。確かに堅実に稼ぐには良いんだろうな。「1日2レッスンで3時間。それで飯食えていたら十分と思って、毎日レッスンを入れたり踊り続けていました。そうしたら段々とOBAという名前が勝手に走りだしたんですよ。」ん?具体的にはどういうことなのでしょうか。「メディア等で有名になるにつれ「OBAってこういうダンスをする」という型にハマったキャラクターが出来て、そこに縛られるようになりました。自分が新たな取組みをすると「前と違う踊りで微妙だな」って感じで盛り上がらなかったりするんです。」ちょっと違うかもしれませんが、一発屋芸人が同じネタを求められたり、歌手でもヒットソングを求められる感じなんですかね。その後どうなったんでしょう。「そういったストレスが重なって、うつ病自律神経失調症になりました。」「病気の原因をダンスにするのもせつなかったです。自分の好きなことを仕事にしたら、結果的にこうなるなんて。あの頃は迷いの時期でした。」そうか。やりたいことをやる辛さってあるもんですよね。趣味と仕事の違いというか。よく聞く話ではありますが、ダンスの世界でもあるんですね。

f:id:sashimoni:20140926183652j:plain

オーストラリアへの旅

メンタル的にもキツイ時期に入って、その後はどうしたのでしょうか。「日本にいるままだと仕事に追われるし、このままじゃブレイクスルーしないと思って、全てを捨ててオーストラリアに行きました。」また、どうしてオーストラリアなんでしょうか。「風の噂でメルボルンはストリートで踊ると稼げると聞いていたんです。それだけを頼りにオーストラリアに行きました。なけなしのお金で航空券を買って、タップダンサー、ビートボクサーの友人と3人で行って、タップダンスの音とビートボクサーの音で僕が踊るわけです。」またまた無謀なチャレンジだな。結果はどうだったのでしょうか。「テント暮らしということもありますが、最初は所持金1万円だったのが数ヶ月で30万円貯まって、インドにまで行っちゃいました。」凄いな。生活しながら貯金できるなんて。腕に自信のある人は「いざメルボルンへ!!」だな。でも、そうやって色んな経験を積み重ねてきた上で今のOBAくんがあるわけなんですね。

 

鎌倉でのイベント

多様な経験をしてきているOBAくんですが、僕が現在一緒に携わっているKAMAKURA DANCE FESTIVAL(以下略称KDF)を開催するキッカケってどんなことがあったのでしょうか。「ダンスの仕事で毎回都内に通って、鎌倉で何もしないのは変だなと思っていたんです。それで、3月に自分の鎌倉にある稽古場でダンス公演を1回だけと思って開催したら、好評で都合4回やりました。このときお客さんの8割が都内の人だったんですよ。」そうか。鎌倉でやっても都内の人が来てくれることが分かったわけですね。「鎌倉の観光ついでに来る人がほとんどだったのですが、今まで「鎌倉でやると都内からは来ない」と思っていたけど、「鎌倉に行きたいから公演も見に来る」お客さんもいました。鎌倉とダンスは相性が悪いわけではないと実感できました。」それで自分の出身地でもある鎌倉でダンス公演を本格的にやりたくなったわけですね。「自分の公演を鎌倉に見に来てくれた著名なダンサーの方数名からも「鎌倉でダンス公演をやりたい。」と仰ってくれました。ダンス公演を準備するには3ヶ月必要です。それぞれ単独で公演をやると時間がかかります。ならば、まとめて出来ればトータルの準備期間も半年くらいで出来るのではないか。そう思って今回のフェスティバル形式で3週続けて鎌倉でダンス公演を開催することにしました。」そういった経緯があったわけなんですか。鎌倉でダンス。今まであまり結びつきがなかったからこそ、新たなムーブメントとなれば良いですよね。


KAMAKURA DANCE FESTIVAL 【公式 PV】 - YouTube

人の繋がりが生まれる

僕も過去に大きなイベントを開催した際に一回目のイベントの難しさを実感したことがあるのですが、実際いま準備していてどうなのでしょうか。「同時に3公演準備することは始めてです。過去にクラブチッタとかで大きな場所で主催したこともあるし、そのときのメンバーも手伝ってくれているので本番当日はあまり心配していないです。」「ただ、一回目のイベントに対する認知度の低さで集客がついてこない等の課題はあります。本来ならダンサーの間だけでも150枚は一瞬で売れておかしくないんですけどね。」そうなのよね。一回目のイベントって集客力ある人がいても難しい面もあったりするんです。反対にKDFをやっていて嬉しい面ってどんなことがあるのでしょうか。「KDFをキッカケに色んな人と繋がっていく感じがありますし、クラウドファンディングを利用していると暖かい気持ちになりますね。動画をシェアしてくれたり、シェアするだけでなく自分なりの言葉を書いて応援してくれたり。その姿を見ているだけで、みんなが応援してくれていることが実感できるし、嬉しいですよ。」「クラウドファンディングはとても良い仕組みだと実感しています。人の良い部分の感情を集めてくれますよね。人にも言いやすいですし。カマコンバレーとコラボしている話もそうです。ITの世界とダンスの世界が交わることって、ダンサー界の中では他にあまりないコラボの仕方です。」暖かい気持ちになるって良いですね。iikuniのスタッフとして支援できて良かったです!

f:id:sashimoni:20140926183523j:plain

ダンサーとして

14年間ダンサーとしてやってきて、今後やりたいことってどのようなことがあるのでしょうか。「世界の人々にダンサーとして感動を与えることに尽きます。感動や生きがい、希望を与えられるダンサーでいたいです。感動といっても泣くだけではなくて、疑問や、何か心が動かされるものだったり、生きる糧になるものです。」「生きる糧となり得たものは希望にもなり得ます。僕自身が驚きだったり、感動なりをたくさんダンスで感じた結果、今に至っています。ダンスに衝撃を受けたからこそ自分も衝撃を与えられる人になりたいですね。」それ良いですね。うんうん。自分ができる何かを通じて誰かの心が響くことができるって嬉しいですよね。他にやりたいことって何があるのでしょうか。「まだまだストリートダンサーとして生きていくには門戸が狭い業界です。例えば、新国立劇場のような舞台では年配の方もダンスを見に行きますが、バレリーナやコンテンポラリーダンサーの方達の舞台であり、ストリートダンサーは入れていません。」確かにそんな気がしますね。なんとなく高貴なイメージのダンスをやっているというか。「だからこそ、ストリートダンサーが新たな世界の舞台に立つことができることを実現したいし、多くのダンサーに橋渡ししていきたいです。」ストリートダンサーの新たな道を作るわけですね。それは開拓者として格好良いな。ぜひぜひ頑張ってください!今後もOBAくんが作る道要注目ですね!!

 

僕はこう思った

今回は少し長めのサシモニとなりました。なぜなのでしょうか。きっと相手の想いが強かったり、経験が豊富であればあるほど、持っている魅力や歴史がドンドン積み重なるんでしょうね。だから、サシモニで伝えようとしても長くなってしまう。そういう人って素敵ですよね。正直ダンス業界のことなんて全く分からないですし、今後僕がダンス業界と何かしらのコラボをすることなんてことも想像すらつきません。ただ、人としてOBAくんのように海外に武者修行に出かけたり、挫折があったり、やりたいことをやって病気になってしまうような経験をしても、そこからまた踏ん張って立ち上がり、新たな道を切り拓いていく。そのプロセスに僕は惹かれてしまうし、自分自身もそうありたいと強く強く思っています。誰かが敷いてくれた道よりも、自分で道を拓く方がよっぽど大変だし、苦労もあると思います。今回のKDFにしてもそうです。ただ、その苦労を越えることで今までに感じたことのない喜びや希望。そして新たな未来が開けていくんだろうな。OBAくんの過去や今後の話を聞いて、そう感じました。ときには、立ち止まってしまうこともあるかもしれない。でも、その先には進んでいくしかないわけですからね。

 

OBA情報

クラウドファンディングサイト


鎌倉初のダンスフェスティバル!時代の先端を体現するダンスと歴史ある地 鎌倉が重なる「鎌倉ならでは」のダンスフェスティバルを開催しよう! | iikuni(いいくに)−鎌倉をよくするアイデア支援!鎌倉市限定クラウドファンディング

※ここからKDFの支援もできるし、チケットも購入できますよ!!

KDFオフィシャルサイト


鎌倉ダンスフェスティバル 2014|KAMAKURA DANCE FESTIVAL 2014

※出演者毎についての詳細情報等が分かります!!

OBA HP


OBA Official Web Site

※過去のダンスしている姿等が見られます!!

 

今日のサシモニ会場

感想:鎌倉で7時からやっている有り難いお店。窓際の席がお気に入りです。窓から覗くと目の前を通勤していく友人が歩くこともしょっちゅうです!

サシモニお相手募集

サシモニのお相手を募集しています!!都内及び神奈川県内であれば、大体どこでも出向いています!!
「記事にされるのはちょっと。。。」という方も、ご安心ください。もちろん、ご本人の承諾があった場合のみ記事にしておりますので、普通にサシで朝食をご一緒するだけで問題なしです。

ちなみに、僕が話を聞いてばかりのような印象をお持ちかもしれませんが、喋る方も大好きなので、出来る限り持っているものは、全てお伝えする所存であります。

「菱木とサシモニしてしてみよう」と思った方は、是非お気軽に下記連絡先までご連絡ください!

Email:hishiki0519アットgmail.com
FB個人ページ:https://www.facebook.com/yutaka.hishiki