サシモニ

サシ飲みがあるなら、サシモーニング(略称サシモニ)があっても良いじゃない

丸の内にエンターテイメントの石を投げる

今回のサシモニのお相手はミナさん。Theatre at Dawnという劇場を朝の丸の内で開催している方です。サシモニしている僕としては、色々と話を伺ってみたい方!!話してみるとホント素敵な方で、心がほっこりする感じのお相手でした。東京の中心地。いや、日本の中心地である丸の内でどんなことが行われているのか。ぜひご一読ください!

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丸の内朝大学から

Theatre at Dawnを朝の丸の内で開催されているわけですが、どうして朝に劇場を開催することになったのですか。「丸の内朝大学でソーシャルプロデューサークラスがありました。街にも良く、面白い企画をクラスで作ろうという取組みです。1人につき1回プレゼンするのですが、そのときに思い付いたものが朝に劇場を運営することでした。」なるほど。丸の内朝大学がキッカケになったんですね。Theatre at Dawnはどんなコンセプトなのでしょうか。「心のストレッチができる場を目指しています。ラジオ体操で身体のストレッチをするように、朝、心をストレッチする。このコンセプトで2年以上やっています。」ラジオ体操の心バージョンって聞くと分かりやすくて良いですね。身体だけじゃなく心も朝からストレッチ。サシモニ好きな僕としてはメチャメチャ魅力的なお話です。

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なぜ丸の内

丸の内といえばビジネス街のイメージなのですが、丸の内でやることの魅力って何があるのでしょうか。「丸の内はビジネス街。そこに文化の潤いがあればさらに良いですよね。文化の発信基地になったり、役者のプロデュースだったり、展示だったり。Theatre at Dawnを通じてエンターテイメントの世界が拡がれば嬉しいですね。」なるほど。丸の内と劇場ってギャップ感があって良いですよね。でも、どうして劇場なのでしょうか。「Theatre at Dawnは2人で始めたのですが、私達はエンターテイメントが好きなんです。それに、普通の劇場だと昼公演と夜公演がある。なんで朝公演はないのかなって思ったんです。」うぉぉぉぉ!!それ僕が夜はサシ飲みがあるのに朝はない。だからサシモニってコンセプトと激近ですね。実際どのくらいお客さんがいらっしゃるんですか。「カフェで開催すると大体25人~50人来場されます。その内リピーターの方は10人くらいですね。」それだけの人が朝から来てくれるわけですね。素敵です!

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人の流れが変わる

元々エンターテイメントの分野が好きなことは理解できたのですが、今やっていることに対し、他にも元々好きだったことの要素ってあるんですか。「人の集まりを見るのが昔から好きです。川の流れと一緒でサーっと流れているのが、石を投げることで流れが変わり、他のものも連動してドンドン変わっていくのを見るのが特に好きなんですよ。」たしかに、大きな流れも何らかのインパクトを与えることで、方向が変わることもありますもんね。「エンターテイメントを一つ落とすことで流れが変わる。この関係が大好きです。」なるほど。丸の内というビジネスの流れの川に、エンターテイメントという石を投げ込んでいるわけか。面白いなぁ。最近丸の内で色々とやっている方の話を聞きますが、やっぱり石を投げることで変わることってあるんですね。 

 

アメリカでの生活

なんかとっても素敵なミナさんなのですが、学生時代はどんな人だったんですか。「高校までは札幌で大学からアメリカに行きました。オハイオに4年間いましたよ。日本人が少ないところに行こうと思って、小さな学校で先生1人当たり生徒数14人の恵まれた環境でした。英語を学ぶのではなく、英語で学ぶのが早いと思ったんです」英語を学ぶには抜群の環境ですね。そこに飛び込む勇気も凄いですが。どうしてアメリカに行きたかったのでしょうか。「中学生のときに良い先生がいて、疑問文作りを学べたりして、英語が好きになったんです。」「ミュージカルが好きだったから、アメリカに対する憧れもありました。ミュージカルの舞台を英語で理解できるようになりたかったですね。」そうか。きっと昔からミュージカルが好きなこともTheatre at Dawnに通じているんでしょうね。

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日本にリハビリ

アメリカで大学生活を送った後は就職等どうしたのでしょうか。「アメリカで日系の会社で通訳として1年働いた後、札幌に戻ってホテルでベルマンを1年くらいやりました。アメリカ生活が5年続いたので日本へのリハビリ感覚で会社に入りました。」確かに5年間もアメリカに馴染むと結構ギャップがありそうですもんね。「上司に対する敬語やお客様に対しての敬語。こういったものを日本人として治す期間でしたね。当初は周りの人から「外国人みたいな感じで怖い」と言われることもありました。」そうなんだ。やっぱり長くいると色々変わるものなんですね。ホテルではどのような仕事をしていたのですか。「外国人の団体も訪れるホテルだったので英語を使える機会もありました。」「札幌の観光案内が出来るのが嬉しかったですね。自分で札幌を回って人気の観光地ランキング入りの地図を作成して、ホテル内に掲示もしました。」凄いな。自作の観光マップですね。流石エンターテイナーです。その後はどうしたのでしょうか。「英語を使える仕事をしたくて、英語を使う秘書業務に転職しました。ホテルで働いていると一期一会になりがちだけど、秘書だと特定の人に対して好きなサービスを出来ます。」「秘書の楽しさは4~5人の人たちの呼吸に合わせつつ、同じ人を毎日サービス出来る喜びがあることですね。」呼吸を合わせてサービスするって良い言葉ですね。相手のことを考えたりするのが好きなミナさんだから出る言葉の気がします。

 

自分が観客

Theatre at Dawnの話に戻りますが、やっていて楽しいことってどういった部分なのでしょうか。「人のリアクションが好きなんです。「相手がこうしたら喜ぶんじゃないか。」と考えること自体も好きですね。」「常に自分が観客なんだと思います。舞台の上で一緒に踊るのは好きじゃないけど、舞台を作るコトは好きです。裏方が楽しいんですよね。」なるほど。作り上げることの楽しさってありますもんね。でも仕事をしながらTheatre at Dawnのようなものをやるって大変そうですが、意識していることってあったんですか。「なんでもない素人の自分がどこまで遊べるかを見せたかったですね。自分でも出来るんだから、誰でも出来ることを伝えたかったです。」「丸の内にずっといる普通のOLが、丸の内にいたまま、どれだけ豊かに遊べるかを見せたかったですね。」そういう想いがあるわけですか。うんうん。確かにミナさんのような姿を見ていると、同じようなことをやりたいと考えている人も勇気づけられそうですね。

Theatre at Dawn(シアターアットドーン)〜街と人をつなぎ、新しい社交の場をつくる

これから

Theatre at Dawnの今後が気になるところですが、目指すところとかってあるのでしょうか。「Theatre at Dawnが楽しくなっちゃって、今の仕事をしながらやるのは中途半端で甘えだなと思えてきたんです。100%コミットして、生活を成り立たせることに挑戦していくところです。」なるほど。先程の話ではOLをしながら遊べるかといった話がありましたが、2年以上続けたことでさらなるステップを踏んでいくわけですね。「これからドンドン公演をうっていきたいです。それも知名度に頼らない見せ方をやりたいんです。自分たちが良いと思ったものが、どれだけの人にウケるかみてみたいんですね。」「劇場という幅広いコンセプトを取ったから、どんなことでも出来るし、チャレンジしていきたいです。」なんか凄い良い感じですね。反対に困り事ってどんなものがあるのでしょうか。「公演依頼の話を多く頂くのですが、全てが出来るわけじゃないので、その調整が難しいですね。100%お客さんとしてみた時に、朝見たら眠くなってしまうものもありますし。」Theatre at Dawnが注目されている証拠の困り事ですね。他にもやりたいことってあるのですか。「Theatre at Dawnのようなコンテンツをたくさん作っていきたいです。例えば、和のプロジェクトをやりたいですね。もうちょっと普通にお洒落で着物を着たり、和服を普通に着ている世界があっても良いですよね。敷居の低い形で和の敷居を下げていきたいですね。」朝に劇場を作ることで劇場の敷居も下げ、和服の敷居も下げるわけですか。素敵ですね。今後どれだけ多くの人達に様々な文化を伝えていくのか楽しみです!

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僕はこう思った

丸の内という場所を舞台に活躍しているミナさん。キッカケは丸の内朝大学の授業からでしたが、そこから生まれたものを2年以上続けているのってホント凄いことだと思います。どうして続けられるのかなぁ。と考えてみると、やっぱり好きなことをやっているからってことと、自分自身の性格というか趣向の部分がガッチリマッチしている印象を受けました。Theatre at Dawnという自分たちが好きなエンターテイメントを作り手側の立場で取り組んでいく。もちろん大変なことや、辛いこともあるのでしょうが、やっている内容もやっているコトも自分たちが好きだったり、自分に合っているからこそ、普通のOLとして仕事をしながらでも続けていられる秘訣のような気がします。多くの人が好きなことを仕事に出来れば良いと考えますが、「仕事にしなくても好きなことって出来るんだよ。」そんなメッセージもTheatre at Dawnの取り組みには秘められている気がします。少しずつでも形にしていくことで、やりたいことをやれるようにする。やりたいことがあるけど一歩が踏み出せない方にとっては、とっても勇気の出る話ではないでしょうか。だって、やっている人がこうやっていますもんね。

 

Theatre at Dawn情報

HP http://theatre-at-dawn.blogspot.jp/

FBページ 


『Theatre at Dawn』 シアター・アット・ドーン | Facebook

 

今日のサシモニ会場


丸の内カフェ ease (イーズ) - 東京/カフェ [食べログ]

感想:丸の内でサシモニするってなかなかなかったのですが、良いものですね!!なんだか朝から調子が良くなるお店でした!

サシモニお相手募集

サシモニのお相手を募集しています!!都内及び神奈川県内であれば、大体どこでも出向いています!!
「記事にされるのはちょっと。。。」という方も、ご安心ください。もちろん、ご本人の承諾があった場合のみ記事にしておりますので、普通にサシで朝食をご一緒するだけで問題なしです。

ちなみに、僕が話を聞いてばかりのような印象をお持ちかもしれませんが、喋る方も大好きなので、出来る限り持っているものは、全てお伝えする所存であります。

「菱木とサシモニしてしてみよう」と思った方は、是非お気軽に下記連絡先までご連絡ください!

Email:hishiki0519アットgmail.com
FB個人ページ:https://www.facebook.com/yutaka.hishiki

 

新たな道を切り拓くダンサーは昔パン屋を目指してた

今回のサシモニのお相手はダンサーであるOBAくん。鎌倉出身の彼が立ち上げたKAMAKURA DANCE FESTIVALの手伝いを少しさせてもらっている関係もあり、OBAくんについて色々と伺ってみました。ダンスの世界で有名人の彼は海外のダンスコンテストで優勝したりする一流ダンサー。ダンスはもちろん、昔なりたかった職業の話とか面白い話も盛りだくさん。ダンスって普段全く接点のない業界。やっぱり知らない世界の話は面白いです。ぜひご一読ください!

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いきなりの挫折

現在は小学校の授業でも取り入れられるほど身近になったダンス。OBAくんはどのようなキッカケでダンスを始めたのでしょうか。「ダンス歴は14年になりますが、中3の始めくらいからやりだしました。兄の先輩にダンスが上手の人がいて教えてくれたんです。兄はラッパーでヒップホップ関係の人達が周りにいたんですよね。」なるほど。兄弟からの影響って受けやすいですもんね。ずっとダンス一筋なのですか。「中学生のときはスケボーを熱心にやっていましたね。2年~3年やって大会でも表彰されたりしていました。今ではスケボー界で有名人となっている後輩がいるのですが、当時まだ素人の彼にスケボーを教えたら2ヶ月くらいで一気に抜かれてしまって。才能の違いを感じて、他の世界を探すようになりました。」いきなりの挫折ってやつですね。確かに自分が2年、3年と経験して出来るようになったものを数ヶ月で抜かされるのは、かなりの衝撃ですよね。凄く気持ちわかります。

ダンスとの出逢い

スケボーで挫折してダンスの世界に進んでいったわけですが、どのようにダンスを学んでいったのでしょうか。「最初は先輩から教わりながらも、ヤマハのダンススクールにも通うようになりました。当時は強くなるために少林寺拳法をやるか、ダンスをやるか二択で考えていたんです。ダンススクールの初めて行った帰りに母親から「ダンスなんてよく分からないものではなくて少林寺拳法をやりなさい。」と言われました。この時のことを今でも覚えているのですが「俺はダンスの天才だからダンスをやる。」って言ったんです。始めたばかりで下手くそだったんですけどね。この日の夜から家に帰ったらずっと踊るようになりました。」面白いな。ピンとくる何かがきっとあったんでしょうね。それにしても、なぜダンスに熱中したのでしょうか。「スケボーとダンスに圧倒的な違いがあったのですが、スケボーは板がないと何もできない。自分次第だけど道具次第のところもある。スケボーと自分はそこの関係性が上手くいきませんでした。ダンスは自分の身体と音楽があれば良いだけ。音楽も大好きだったし、練習すれば練習するほど自分の身体に反映されていく。昨日より、今日。今日より明日の方が上手くなっていく感覚があるんですよね。」確かに音楽と身体一つで出来るダンスって自分自身の全てを使った表現ですもんね。面白いものです。

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子供の頃の夢はパン屋

中学3年生でダンスと出逢って、それからは一直線にダンス道だったのですか。「そんなことないんです。というのも昔からパン屋になりたかったんですよ。魔女の宅急便で見た強くて渋いパン屋さんに憧れて。高校も東京の小平にある国際製菓専門学校に自宅から片道2時間かけて通いました。」自宅から2時間かけるって。かなり本気でパン屋を目指していたんですね。「自分で言うのもアレなんですが、優等生だったので2年生の時点で卒業後にドイツのホテルのパン部門に修行に行くことも決まっていました。」なるほど。もう完全にパン屋への人生が進んでいる感じですね。それが、またどうしてダンスの道へ転身したのでしょうか。「学校があった小平の近くに立川という場所があるのですが、そこにダンサーが集まっていました。西東京の有名ダンサーが集まる場所で、そこでのめり込んでいったんです。」面白いですね。パン屋の世界に行こうとしたらダンスの世界がさらに開けたわけですね。パン屋に踏ん切りつけたキッカケはあったんですか。「学校の恩師にパンとダンスどっちが狂えるかと問われたんです。パンの世界で一流になりたかったら、ダンスを趣味でやっている余裕もないぞと。どっちも中途半端にならないために絞るしかない。それで「ダンスです。」と答えたらメチャメチャ怒られました。」将来有望なパン職人候補だったんでしょうからね。先生の気持ちも分かります(笑)

 

ダンス留学

パン屋ではなくダンスの道を選択したわけですが、高校卒業後はどうしたのでしょうか「ニューヨークにダンス留学しました。父親に相談したら「やるからには本場でやるほうが良い。」と言われて後押しされたこともあって。」確かにダンスの本場ってニューヨークのイメージありますもんね。実際に行ってみたらどうだったのですか。「みんな下手じゃんと思ってショックを受けました。アメリカは世界で一番目か二番目にストリートダンスで強い国です。ただ、ジャンルによっては日本人の方が上手い。ハウスダンスはニューヨークがズバ抜けているのですが、僕がやっていたポッピングダンスはLA発祥ということもあり、ニューヨークでは決して上手な人が多くなかったんです。」へぇ、ジャンルによって様々なんですね。やっぱり未知の分野の世界の話は分からないことが多いです。その後どうしたのでしょうか。「有り難いことに、自分が通ったダンススクールにLAでポップダンスを生んだオリジネーターの一人が先生として学校に在籍していました。それで2年半ひたすら先生から学びながらポップダンスをやりました。」それは幸運ですね。どのくらい練習するものなんですか。「寝る時間を惜しんで1日最低12時間は練習しました。学校でレッスンを受けまくって、ジムの深夜パッケージを借りてスタジオで朝まで練習。やればやるほど自分が上手くなっていく実感と、努力が報われる回数が半端なかったです。」いいですねぇ。やればやるほど上手くなる。何事もこの感覚が培われると強いですよね。

 

日本人とダンス

さっきの話で気になったのですが、日本人の方が上手いダンスのジャンルがあるというのは、果たしてどういうことなのでしょうか。「ストリートダンスの中で日本人が一番上手いのはポップダンスです。筋肉を一つ一つ意識して動かすイメージですね。ハッキリ言ってオタクダンス。筋肉を動かして止まらせるとか、職人的な世界です。日本人は細かいし精度が高い。日本人の性質に凄く合っているダンスですね。」なるほど。確かに話を聞いていると日本人に合いそうですね。逆に日本人が敵わないのはどんなジャンルなのでしょうか。「ヒップホップダンスやハウスダンスは次元が違うレベルでアメリカ人は凄いです。やはり黒人のグルーヴ感とか真似したくても出来ないものがありますね。」確かに僕も1年ちょっとサンフランシスコに住んでいたことがあるので分かるのですが、向こうだと黒人のおばちゃんとかでもメチャメチャ普通に良いノリで踊っているんですよね。あれは人種の違いを感じざる負えない経験でした。

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アメリカでの結果

ニューヨークに2年半いた際に大会にも出たのでしょうか。「ニューヨークのダンスバトルの大会で優勝することが自分の中で目標でした。1年目はなかなか結果出せなかったけど、1年半くらいして結果が残せるようになりました。ニューヨーク以外の地域でもダンスバトルで優勝しましたよ。」おぉ。それは凄いですね。本場で優勝するとか並大抵のことじゃない気がします。「アメリカでは完全実力主義なのが良かったです。同じダンスバトルでも日本の場合だと有名人が勝ったりすることがあります。でも、アメリカでは肩書とか関係なく、上手いかどうかだけの実力主義。やればやるほど結果が出るのが快感になりました。」結果が出ると自信もつくし、良いスパイラルですよね。そのまま海外で活動するのではなく、日本に戻ってきたのはなぜなのでしょうか。「海外でやるか、日本でやるか悩んだのですが、世界の中でも日本。特に大阪はレベルが高いので、まずは日本を網羅して外に出ようと考え日本に戻ってきました。」確かに日本がそれだけ実力がある国なのであれば、まずは足元から固めるって大事なことかもしれませんね。

ダンスでの挫折

なんだか今までの話を聞いているとメチャメチャ順調なように思えるのですが、ダンスの世界では挫折経験はなかったのでしょうか。「あります。ニューヨークに住んでいたときですがTOSHIってダンサーがいるんです。彼は日体大出身でLAに当時いたのですが、バケーションでアメリカにきてフラっとダンスを始めた人間なんですよ。」「B-BOYSサミットという全世界のダンサーが集まる大会があるのですが、僕はアメリカ生活の最後に大会に出て優勝したかったんです。いざ出場したら僕は予選落ちして、TOSHIが優勝したんです。」そこまで懸けてた大会での結果として、相当悔しかったでしょうね。「半年やった人間に負けて、俺の2年半は何だったんだ。という気にもなりました。中学生のときスケボーで天才が現れたときと同じ衝撃です。」そりゃそうだわな。その悔しさはどう変わっていったのですか。「すぐに知人を通じて紹介されてTOSHIとは仲良くなったんですよ。それで同じ時期に日本に帰国して、フリースタイルセッションという日本の大きな大会に一緒に出たんです。2人とも知名度が全くない中で僕はベスト4に入れて、トシはベスト8に入りました。それからずっと仲良くやっていますね。」「何百人といる中から予選突破のベスト16に入ることが先ず大事だったので日本に帰国したスタートとしては幸先良かったですね。」おぉ。2人して日本に戻って結果を出したわけですね。メチャメチャ良い感じですね。

 

ダンサーの仕事

ストリートダンスの世界で活躍している人が働ける場って全然想像つかないのですが、どういったものがあるのでしょうか。「帰国してからはインストラクターとしてダンスを教えたり、ショーケースといってクラブで踊ることや、舞台に出演することを仕事としていました。」インストラクターか。確かに堅実に稼ぐには良いんだろうな。「1日2レッスンで3時間。それで飯食えていたら十分と思って、毎日レッスンを入れたり踊り続けていました。そうしたら段々とOBAという名前が勝手に走りだしたんですよ。」ん?具体的にはどういうことなのでしょうか。「メディア等で有名になるにつれ「OBAってこういうダンスをする」という型にハマったキャラクターが出来て、そこに縛られるようになりました。自分が新たな取組みをすると「前と違う踊りで微妙だな」って感じで盛り上がらなかったりするんです。」ちょっと違うかもしれませんが、一発屋芸人が同じネタを求められたり、歌手でもヒットソングを求められる感じなんですかね。その後どうなったんでしょう。「そういったストレスが重なって、うつ病自律神経失調症になりました。」「病気の原因をダンスにするのもせつなかったです。自分の好きなことを仕事にしたら、結果的にこうなるなんて。あの頃は迷いの時期でした。」そうか。やりたいことをやる辛さってあるもんですよね。趣味と仕事の違いというか。よく聞く話ではありますが、ダンスの世界でもあるんですね。

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オーストラリアへの旅

メンタル的にもキツイ時期に入って、その後はどうしたのでしょうか。「日本にいるままだと仕事に追われるし、このままじゃブレイクスルーしないと思って、全てを捨ててオーストラリアに行きました。」また、どうしてオーストラリアなんでしょうか。「風の噂でメルボルンはストリートで踊ると稼げると聞いていたんです。それだけを頼りにオーストラリアに行きました。なけなしのお金で航空券を買って、タップダンサー、ビートボクサーの友人と3人で行って、タップダンスの音とビートボクサーの音で僕が踊るわけです。」またまた無謀なチャレンジだな。結果はどうだったのでしょうか。「テント暮らしということもありますが、最初は所持金1万円だったのが数ヶ月で30万円貯まって、インドにまで行っちゃいました。」凄いな。生活しながら貯金できるなんて。腕に自信のある人は「いざメルボルンへ!!」だな。でも、そうやって色んな経験を積み重ねてきた上で今のOBAくんがあるわけなんですね。

 

鎌倉でのイベント

多様な経験をしてきているOBAくんですが、僕が現在一緒に携わっているKAMAKURA DANCE FESTIVAL(以下略称KDF)を開催するキッカケってどんなことがあったのでしょうか。「ダンスの仕事で毎回都内に通って、鎌倉で何もしないのは変だなと思っていたんです。それで、3月に自分の鎌倉にある稽古場でダンス公演を1回だけと思って開催したら、好評で都合4回やりました。このときお客さんの8割が都内の人だったんですよ。」そうか。鎌倉でやっても都内の人が来てくれることが分かったわけですね。「鎌倉の観光ついでに来る人がほとんどだったのですが、今まで「鎌倉でやると都内からは来ない」と思っていたけど、「鎌倉に行きたいから公演も見に来る」お客さんもいました。鎌倉とダンスは相性が悪いわけではないと実感できました。」それで自分の出身地でもある鎌倉でダンス公演を本格的にやりたくなったわけですね。「自分の公演を鎌倉に見に来てくれた著名なダンサーの方数名からも「鎌倉でダンス公演をやりたい。」と仰ってくれました。ダンス公演を準備するには3ヶ月必要です。それぞれ単独で公演をやると時間がかかります。ならば、まとめて出来ればトータルの準備期間も半年くらいで出来るのではないか。そう思って今回のフェスティバル形式で3週続けて鎌倉でダンス公演を開催することにしました。」そういった経緯があったわけなんですか。鎌倉でダンス。今まであまり結びつきがなかったからこそ、新たなムーブメントとなれば良いですよね。


KAMAKURA DANCE FESTIVAL 【公式 PV】 - YouTube

人の繋がりが生まれる

僕も過去に大きなイベントを開催した際に一回目のイベントの難しさを実感したことがあるのですが、実際いま準備していてどうなのでしょうか。「同時に3公演準備することは始めてです。過去にクラブチッタとかで大きな場所で主催したこともあるし、そのときのメンバーも手伝ってくれているので本番当日はあまり心配していないです。」「ただ、一回目のイベントに対する認知度の低さで集客がついてこない等の課題はあります。本来ならダンサーの間だけでも150枚は一瞬で売れておかしくないんですけどね。」そうなのよね。一回目のイベントって集客力ある人がいても難しい面もあったりするんです。反対にKDFをやっていて嬉しい面ってどんなことがあるのでしょうか。「KDFをキッカケに色んな人と繋がっていく感じがありますし、クラウドファンディングを利用していると暖かい気持ちになりますね。動画をシェアしてくれたり、シェアするだけでなく自分なりの言葉を書いて応援してくれたり。その姿を見ているだけで、みんなが応援してくれていることが実感できるし、嬉しいですよ。」「クラウドファンディングはとても良い仕組みだと実感しています。人の良い部分の感情を集めてくれますよね。人にも言いやすいですし。カマコンバレーとコラボしている話もそうです。ITの世界とダンスの世界が交わることって、ダンサー界の中では他にあまりないコラボの仕方です。」暖かい気持ちになるって良いですね。iikuniのスタッフとして支援できて良かったです!

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ダンサーとして

14年間ダンサーとしてやってきて、今後やりたいことってどのようなことがあるのでしょうか。「世界の人々にダンサーとして感動を与えることに尽きます。感動や生きがい、希望を与えられるダンサーでいたいです。感動といっても泣くだけではなくて、疑問や、何か心が動かされるものだったり、生きる糧になるものです。」「生きる糧となり得たものは希望にもなり得ます。僕自身が驚きだったり、感動なりをたくさんダンスで感じた結果、今に至っています。ダンスに衝撃を受けたからこそ自分も衝撃を与えられる人になりたいですね。」それ良いですね。うんうん。自分ができる何かを通じて誰かの心が響くことができるって嬉しいですよね。他にやりたいことって何があるのでしょうか。「まだまだストリートダンサーとして生きていくには門戸が狭い業界です。例えば、新国立劇場のような舞台では年配の方もダンスを見に行きますが、バレリーナやコンテンポラリーダンサーの方達の舞台であり、ストリートダンサーは入れていません。」確かにそんな気がしますね。なんとなく高貴なイメージのダンスをやっているというか。「だからこそ、ストリートダンサーが新たな世界の舞台に立つことができることを実現したいし、多くのダンサーに橋渡ししていきたいです。」ストリートダンサーの新たな道を作るわけですね。それは開拓者として格好良いな。ぜひぜひ頑張ってください!今後もOBAくんが作る道要注目ですね!!

 

僕はこう思った

今回は少し長めのサシモニとなりました。なぜなのでしょうか。きっと相手の想いが強かったり、経験が豊富であればあるほど、持っている魅力や歴史がドンドン積み重なるんでしょうね。だから、サシモニで伝えようとしても長くなってしまう。そういう人って素敵ですよね。正直ダンス業界のことなんて全く分からないですし、今後僕がダンス業界と何かしらのコラボをすることなんてことも想像すらつきません。ただ、人としてOBAくんのように海外に武者修行に出かけたり、挫折があったり、やりたいことをやって病気になってしまうような経験をしても、そこからまた踏ん張って立ち上がり、新たな道を切り拓いていく。そのプロセスに僕は惹かれてしまうし、自分自身もそうありたいと強く強く思っています。誰かが敷いてくれた道よりも、自分で道を拓く方がよっぽど大変だし、苦労もあると思います。今回のKDFにしてもそうです。ただ、その苦労を越えることで今までに感じたことのない喜びや希望。そして新たな未来が開けていくんだろうな。OBAくんの過去や今後の話を聞いて、そう感じました。ときには、立ち止まってしまうこともあるかもしれない。でも、その先には進んでいくしかないわけですからね。

 

OBA情報

クラウドファンディングサイト


鎌倉初のダンスフェスティバル!時代の先端を体現するダンスと歴史ある地 鎌倉が重なる「鎌倉ならでは」のダンスフェスティバルを開催しよう! | iikuni(いいくに)−鎌倉をよくするアイデア支援!鎌倉市限定クラウドファンディング

※ここからKDFの支援もできるし、チケットも購入できますよ!!

KDFオフィシャルサイト


鎌倉ダンスフェスティバル 2014|KAMAKURA DANCE FESTIVAL 2014

※出演者毎についての詳細情報等が分かります!!

OBA HP


OBA Official Web Site

※過去のダンスしている姿等が見られます!!

 

今日のサシモニ会場

感想:鎌倉で7時からやっている有り難いお店。窓際の席がお気に入りです。窓から覗くと目の前を通勤していく友人が歩くこともしょっちゅうです!

サシモニお相手募集

サシモニのお相手を募集しています!!都内及び神奈川県内であれば、大体どこでも出向いています!!
「記事にされるのはちょっと。。。」という方も、ご安心ください。もちろん、ご本人の承諾があった場合のみ記事にしておりますので、普通にサシで朝食をご一緒するだけで問題なしです。

ちなみに、僕が話を聞いてばかりのような印象をお持ちかもしれませんが、喋る方も大好きなので、出来る限り持っているものは、全てお伝えする所存であります。

「菱木とサシモニしてしてみよう」と思った方は、是非お気軽に下記連絡先までご連絡ください!

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住吉優の赤裸々白書

今回のサシモニのお相手は村式というWEB系の会社を経営している住吉優さん。カマコンバレーをキッカケとして色々とお世話になっている方です。優さんってとっても素敵な方で何と言ったら良いのでしょうか。人としての暖かみをメチャメチャ感じるお方です。そんな優さんに8年間会社経営をしてきたストーリーや、起業のキッカケ、そして価値観の変化の話等々。普段なかなか聞けない話を伺いました。ぜひご一読ください!

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起業のキッカケ

現在村式という会社の経営者であるわけですが、どのような経緯があって起業することになったのでしょうか。「人生に違和感があって会社を始めた。決して、高尚な理念があったわけではないんだよ。社会人になったら面白くないと周りのみんなが言っていたけど、自分としてはわりと楽しかった。高校時代の友人と久しぶりに会ったときに「一緒に何かやろう」って話で盛り上がるけど、具体化されることはなく現実に戻っていく。このループを3年くらいやっていたね。」その感じって何となく分かります。飲み会の席で盛り上がるけど、結局何も進まない。その繰り返しってサラリーマンあるあるな気がしますね。どういった転機があったのでしょうか。「坂本龍馬が脱藩したのが28歳だったから、自分も28歳のときに会社を辞めた。考えるだけだと現実は何も変わらないから、考えるのをやめた。当時は充実していたけれども、これじゃない感みたいな違和感があったし、もっとオモロい働き方をしたいとか、作りたい気持ちがあった。レールに乗っている感じがつまらなかったんだよね。」坂本龍馬が脱藩した年だから会社を辞めるって、なかなか聞いたことのない話ですね。歴史好きな優さんらしいエピソードです。

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立ち上げ期

龍馬が脱藩したから辞めるまでは良いと思うのですが、辞めた後は上手くいったのでしょうか。「元々5人でやろうと話していたんだけど、立ち上げは今も一緒に会社をやっている中川と2人で初めたんだよね。そして、後から他の3人が入ってきた。最初は仕事がないから、創業メンバーの親の仕事を手伝ったり、近所にバンドが来るから映像撮影とか、何でもやっていたよ。」「WEBの仕事をしたいと言い続けていたら、だんだんとWEBの仕事が出来るようになっていったね。」やっぱり、やりたいことを言い続けるのって大事ですよね。その後はどうだったのでしょうか。「グッときているのは今だね。スパークしているよ。会社のメンバーが育ったし、新しい人材も入ってきて、目指している目標も凄く高い。目標に押しつぶされるのではなく、突き抜ける形になっているよ。土台はできた。撒いてきた種が芽吹いてきているのを感じているね。」おぉ!!なんか、メチャメチャ良い感じですね!!8年経ってここにきてスパークしているって面白いです!!

価値観の変化

ここにきてスパークしている理由って一体なんなのでしょうか。「8年かかったのは売上をいくらにするといったことに対して、そもそも興味がなかったから。会社を大きくするとか成果を上げることよりも、在り方とかプロセスを重視してきて、結果を出すことに拘ってこなかったんだ。」「世の中のベンチャーが売上を右肩上がりに目指していくのを斜に構えて見ていたんだよね。今は脱資本主義の世の中になっているから、逆に売上を伸ばそうとしているよ。」面白いなぁ。経営者って多くの人がイメージするのは、いかに売上を伸ばすかだけを考えている人物像がありますが、決してそうではなかったのですね。一体なぜなのでしょうか。「お金に対する恐れがあったと思う。儲けるのは良くないくらいに考えていた。清貧という言葉が好きだったから、その刷り込みがあったかな。豪商よりも高杉晋作側に憧れがあったね。」「広島出身で広島カープが好きだからカープ美学。樽募金で勝つのが美しいみたいな価値観。すぐに売上の話をするやつが嫌いだったけど、2年前くらいにその恐れがなくなったね。」カーブ美学ヤバイっすね。個人的には好きですけどね。一体どのようなキッカケがあったのでしょうか。「お金に困ったときに、お金のことを悪と捉えていた感覚がなくなったんだよね。それからは、成長して収益が上がるのが苦じゃなくなった。」それは大きな変化ですね。企業は人なりという言葉がありますが、まさに村式も社長の優さんの感覚値が大きく作用していたんでしょうね。

愛されたい

村式の話も面白いのですが、優さん個人の話も気になるところです。子供の頃ってどんな子供だったのでしょうか。「普通の野球少年だったよ。子供の頃好きだったことは、お母さんに好かれること。親に褒められることがやりたいことだった。」すげぇ意外っすね。今の優さんからは想像もつきません。「年子で1つ下の弟がいるんだよね。母親は下の弟をよく見るから、もっと愛されたい気持ちが強かったと思う。だから、勉強もスポーツも親に褒められるのが1番の喜びだったよ。」そうか。年子でかつ同性だと、余計気になるのかもしれませんね。その感覚ってどこかで変わったのでしょうか。「以前は他者の評価に依存していたけど、今は自分がやりたいことをやっている感じだね。自分に褒めてもらっているイメージ。今は自分がよくやったと言えるときや、良く頑張っていると自分で思えているとパワフルになれるね。そのためには、お客さんに喜んでもらえたり、誰かの役に立てないとそう思えない。良いサイクルになっているよ。」この感覚分かります。自分が覚える充足感って、自分自身が満足できているかって感覚があるんですよね。でも、それって独りよがりのものでは満足感は得られないし「誰か」があってこそなんですよね。

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なぜ鎌倉

鎌倉に本社を置き、北鎌倉には古民家を改装した「スサノオ」というオフィスを持つ村式。一体どうして鎌倉で働いているのでしょうか。「導かれている感があるね。まだどこに導かれているのかは分からない。鎌倉になぜいるのかも分からないけれども、今いる。それだけ。後で分かるような大きな流れの中にいるんじゃないかな。何かがあるんだろうなという気はする。」なるほど。それって村式だけではなく、住吉優個人としてはどうなのですか。「自分の人生についてもまだ分からないね。違和感に突き動かされている人生だと思っているけれども、違和感は減ってきている。会社のビジョンはあるけれども、自分の人生のビジョンはまだ見えていない。こっちの方向感というのはあって、そこにアジャストしている感覚かな。」そうなのか。見えてないようでも方向感は感じられているんですね。感覚値を澄ましていくって大事ですよね。優さんの仕事の楽しみってどこらへんにあるのでしょうか。「一番楽しいのは、社員や他の企業のパートナーも含めて、一緒にプロジェクトをやっていて、みんながスーパーマンに見えるみたいな瞬間が好きだね。」「お互いがお互いを信頼しあっているときに、人生の喜びみたいなものを感じるよ。」それ素敵ですね。お互いが信頼し合っているからこそ生まれるものって絶対ありますもんね。

 

社長として成長したこと

8年間も社長業をやっていると、色々な変化があると思うのですが優さんの場合はどうなのでしょうか。「ここ数年で人との関わり方が変わったよ。会社をやっていると辞めていく社員もいる。社員が辞めるってショックなことだよね。」そうでしょうね。仲間ですもんね。「社員が辞めると「自分の能力がないから」「ビジョンがないからでは」「嫌われたんじゃないか」様々な想いを抱いてきたんだ。ときには、「一緒にここまでやろうぜ」と誓った相手が離れていく際に、「約束したのに筋が通らないじゃないか。」と考えることもあったよ。」なるほど。誓い合った仲間として考えているだけに、離れるときのインパクトは大きいですもんね。「それが、今では「相手が自分の人生で行きたい場所に行くことを止めたくない。」「彼が決めた道筋を応援したい」と、思えるようになったんだよね。」おぉ!!それは大きな変化ですね。その変化で変わったことってあるのでしょうか。「社員が窮屈に感じていたかもしれない空気が変わったかもしれない。社外の仲間になっても絆が深まっていると感じられるようにもなったね。」それは素敵な話ですね。聞いているだけでもなんだか嬉しい感じです。「辛い時期もあったけど、乗り越えられたことで社員もそうだし社外の人も含めて自由な関係で血の通った関係が出来ているよ。有名な人と話すのも昔はガチガチに緊張したけど、今では緊張しなくなった。カヤックのやなさんも昔は苦手だったけど、今では本音で気持ちのよいトークもできるようになったね。」自分次第で全て

が変わるものなんですね。うんうん。全力で見習おう!!でも、どうしてそんな風に変われたのでしょうか。「自分の感情に向き合い続けたから変わったね。今振り返るとなんであんなショックを受けていたんじゃないかとも思うよ。」そうか。感情と向きあう。大事ですよね。 

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今後の村式

最後に今後の村式がどうなっていくかについて教えてもらえますか。「村式は日本の伝統的な技術や、精神的な技、文化をロボットとかITのテクノロジーの最先端を使って、一緒に融合させて世界に届けていきたいね。」「日本やべぇなという驚嘆に一役買っていきたい。自分が生まれた国だし、地元が好きだし、家族も好き。日本の培ってきたものの中に力があると思う。」過去の遺産を今の形にして新たに生み出すって聞いているだけでワクワクしますね。なぜ、そのような想いがあるのでしょうか。「日本の文化の価値に気付いてないのは世界から見ると自分たちだけじゃないかな。神仏が融合するとかもっとあるかもしれない。」「個人的に日本のことが元々やりたかった。歴史が好きだし、田舎も好き。都会とのデュアルな感じでやりたいね。」「ルーツに興味があるんだよ。原点みたいなところ。ただ、そこに留まるだけじゃなくて現実にも生きたい」ルーツに興味がありつつ、現実にも生きるって面白い感覚ですね。「未知なるものへの想いがずっとあった。村式のロゴを変えたり、新規事業のクレイジージャパンも想像していない世界にいきたいからやっている。忘れ去られた能力だったりするものが絶対あるというのは確信を持っているし、そこにロマンも感じる。」ロマンを感じることを仕事にする。それって格好良いっすね。今後の村式がどれだけクレイジーになっていくのか、目が離せません!!

 

※村式HPより

僕はこう思った

優さんの話。とっても赤裸々に優さんらしい話をしてくれました。会社を立ち上げてから8年間という歩みの中で、想像もつかないくらい色んな葛藤や、苦境や、喜びが山のようにあって、それがきっと優さんを良い意味で変化させているのだと思います。そして、それを人は成長と呼ぶのかもしれません。優さんの話を聞いていると文中にも書きましたが企業は人なりという言葉を思い起こされます。「社長の器以上には会社は大きくならない」といったこともよく聞きます。きっと優さんの器って大きくなり続ける気がします。優さんが仕事の楽しみを覚える話の中で「お互いが信頼し合っている関係」というフレーズがありました。僕は優さんと付き合い始めてそんなに日が長いわけではないのですが、メチャメチャ信頼できる人なんですよね。タイムリーな話なのですが、たまたま昨晩一緒に飲む機会があって、思い切って相談事をさせてもらいました。僕はあまり人に相談するタイプではないのですが、「この人に話をしたい」と思わせられる何かがあったんですよね。そんな優さんだからこそ、一緒にコトを成し遂げようとする人が集まってくるのであろうし、きっとその流れはさらに増幅して村式という会社もスパークしていくんだと思います。ホント今後どうなっていくのかが楽しみですね。僕も刺激を受けつつ、刺激を与えられる関係でいたいなと思わせられます。うんうん。頑張るで!!

 

村式情報

HP

※クレイジーなHPが見れます。

クレイジージャパン

CRAZY JAPAN MURASHIKI

※こんなクレイジーなことをやるそうです!

これはまさか!?

※武者の姿で熱く語っております。

 

今日のサシモニ会場

感想:鎌倉で7時からやっている有り難いお店。窓際の席がお気に入りです。窓から覗くと目の前を通勤していく友人が歩くこともしょっちゅうです!

サシモニお相手募集

サシモニのお相手を募集しています!!都内及び神奈川県内であれば、大体どこでも出向いています!!
「記事にされるのはちょっと。。。」という方も、ご安心ください。もちろん、ご本人の承諾があった場合のみ記事にしておりますので、普通にサシで朝食をご一緒するだけで問題なしです。

ちなみに、僕が話を聞いてばかりのような印象をお持ちかもしれませんが、喋る方も大好きなので、出来る限り持っているものは、全てお伝えする所存であります。

「菱木とサシモニしてしてみよう」と思った方は、是非お気軽に下記連絡先までご連絡ください!

Email:hishiki0519アットgmail.com
FB個人ページ:https://www.facebook.com/yutaka.hishiki

元銀座の傭兵が語る愛

今回のサシモニのお相手は青木さん。色んな人とお会いする中で、「この人マジおもしれぇな」と驚愕するレベルの人がいます。その中の1人が青木さんです。新卒から築地で働いたり、気付いたら選挙の手伝いしていたり。何がなんだかよく分からない人。サシモニで今まで聞いたことのない話を色々と伺かったのですが、築地の現場の話等々やっぱり予想通りとてもオモロい話ばかり。築地で働く人の話なんて普段なかなか聞けないですもんね。ぜひご一読ください!

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目立ちたがり屋

僕は周りの人から変わっていると言われることが多いのですが、この人も相当変わっています。サシモニした当時ダイエット中だったそうですが、サラダチキンと鯖ばかり食べているとのこと。鞄から普通に鯖出てきましたから(笑)ちなみに3週間で5Kg痩せたそうです。ところで、青木さんっていつからそんな感じなのでしょうか。「どこかで価値観が変わったんだけど、予備校時代かな。メチャクチャ頭良いとかで勝てない奴がいることに気付いたんだよね。張り合って勝てないなら、ニッチなところで誰もやってない場所で勝つことを考えるようになったね。」おぉ。なんだか真面目な話ですね。でも、どうしてそんな勝ちたい意識があったんでしょうか。「人と違うことをやって勝つためにはどうするかって考えちゃうんだよね。勝ちたいと思う根底は目立ちたがり屋だから。話題になりたいとかではなく、自分が価値を感じられるステージで目立ちたい。そのためには選択と集中をしないといけないから、新卒で就職するときも築地だった。」えっ。途中まで格好良いこと言っていて、最後の結びが意味分からんすね!!気になります!

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築地での生活

築地で就職したとのことですが、一体どんな経緯なのでしょうか。「ギャグがキッカケで就職したんだよね。「築地に面接行くの面白いじゃん。」という不純な動機だった。それが見学して色々と話を聞いたら面白い仕事だと思ってさ。魚の卸会社なんだけど商売の原点があったんだよ。「若い内から全部任せる。」と言われて、自分で好きな魚を仕入れて好きに売る。ドンドン自分のお客さんも作れる。気がついたら築地で4年くらい魚を売っていたね。」ギャグで面接に行って就職するなんて、そんな話があるんですね。どんな生活だったのでしょうか。「朝1時半に魚を担ぐ生活だから9時就寝だよね。当時は浦安に住んでいたから、ディズニーランドの花火が打ち上がると、早く寝なきゃと思っていたよ。」花火が寝る合図なんて、なんか洒落ていますね。どんな仕事をしていたのでしょうか。「誰も売らない魚を扱っていたね。卸業界の特性としてスーパーのバイヤーにみんな集まるんだよ。そこで戦っても仕方ないと思って、築地内で商売しているおっちゃんを相手にしていた。みんな売り込みにいかないの。相手にするの面倒だからさ。欠品したら「殺すぞ」と普通に言われる世界。憎まれ口を叩きながら商売しているからね。そういう怖いおっちゃんを相手にしていたら若いうちから基盤が出来た。瞬間湯沸し器みたいなおっちゃんでも、次の日には忘れているような人達。その人達と付き合っているのは楽しかったね。」ここでもニッチな方向に攻めていったのですね。商売相手もニッチなおっちゃん相手か。学びになるなぁ。

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卸売業

築地で仕事をして学びになったことを教えてもらえますか。「マーケティングの基本が培われたことかな。同じ商品に対してあるバイヤーがメッチャ売れると言っても、別の人は全然売れないと言うこともある。店舗を見に行くと置かれる場所で売れ方が違ったりもする。結果の裏には原因があることに気付いていったね。「このおっさんだけが売れているのが不思議だなぁ。」と思ったりすると、そのやり方を他に持っていけば良いと考えるようになったよ。」なるほど。観察してドンドン試して自分のものにしていったのですね。そもそも卸売業ってどんな世界なのでしょうか。「卸売業は5.5~6%の利益率。高い商材だと3%の世界。会社のノルマで管理されていたのは売上高だね。」「頻繁に扱ったのはB級品。味は変わらず美味しいけど形が悪いものとかね。実はメーカーからすると早く売りたい商品なんだよ。ネットワークを作って、B級品をガンガン買ったね。色の悪い金目鯛は煮付けにすれば分からない。味は変わらないわけだから、お店としても安い商品を高く売れるから喜ばれるんだよ。」なんか水産業のリアル話っぽくなってきましたね。興味津々です!!

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海外ルートを作る

卸売業の実態。活気ある話で面白いのですが、印象に残っている仕事ってなにがありますか。「よく扱っていたのはアサバガレイ。船にある魚を丸ごと買って加工屋に流していたよ。アサバガレイは何枚という単位で5Kg毎に発泡スチロールに入れて売るんだけど16枚くらいが一番売れるね。全てのサイズ毎にそれぞれ売り先をつけて、月に60t扱っていたよ。自分が買い付けた魚が毎日ドンドン全国に運ばれていくのは見ていて楽しかったね。」60tってとんでもない量ですね。20代半ばでその経験はかなり特異です。他にどんなエピソードがありますか。「塩釜と石巻にアサバガレイの作り方を学びに行って、中国の工場でその通りに作れるルートを開拓したことかな。ロシアのアサバガレイを中国に送って、それを日本に持ち込む。純粋にモノを売るのが面白かったね。」海外ルートを作っていたのか。面白いなぁ。「営業は圧倒的に量。どれだけの人と会うか。自分が売れる人間じゃないと買ってくれない。色々動きまわって仲良くなって商売をする。」「双方のコミュニケーションが大事だよね。水産業の良いのは人の繋がりで商売するとこ。口約束で2,000万円とか動く世界だから、一度はしごを外したら噂が広まっておしまい。アナログなんだけど、言葉の重さを感じたね。」口約束で2,000万円の世界か。ホント業界が変わるだけで、世界が違いますよね。

 

※アサバガレイ

新たな旅立ち

話を聞いていると水産業面白そうなのですが、その後どのような転機があったのでしょうか。「仕事が終わった後にBARとかに行きたい等のプライベートの部分と、仕事面ではマーケティングの仕事を極めたいと思ってやめたんだ。築地の仕事はメチャメチャ楽しかったんだけど「今だから楽しいのでは」という怖さがあった。可愛がられたり、朝から動けるのも若いから出来ていることで、永続的に出来るかは分からない。そんな時に築地の移転問題もあって、ここで動こうと思ったんだ。」築地が移転する前に自分が移転したんですね。確かに20代だったら色々経験もしたくなりますよね。その後はどのような道に進んだのでしょうか。「ビジネススクールに行って、一般の仕事を学ぶところから始めたね。会社を辞めてプラプラしているときに、「お前暇そうだから。」と言われて、選挙の手伝いをしたこともあった。コンサル出身の人が多かったから、全然違う仕事の進め方が学びになったよ。そのまま選挙で出会ったと一緒に仕事をして、一年くらいで辞めて今の会社に入ったんだ。」確かに全然違う世界の人達と付き合うことで、新たなやり方にも気付くし、色々見えるものってあります。築地とコンサルってギャップも凄い分、学びも大きいのでしょうね。

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銀座の傭兵

青木さんって学生時代は何をやっていたのでしょうか。「銀座の高級クラブで黒服のバイトをしていたよ。タバコを一本吸っただけで灰皿交換するような店。2~3年やっていたかな。」「偉い人ばっかり来る店だったけど、学生だったから時間はあるから3店舗くらい回っていた。それで銀座の傭兵と呼ばれていたんだ。」銀座の傭兵!!!(笑)そのアダ名面白すぎますね。銀座のクラブで黒服とか全く想像がつかないのですが、どんな世界なのでしょうか。「仲の良いおっさんにはチップをもらうこともあったよ。1人色んなことを教えてくれるお客さんがいてね。今になって思い返すと良いこと言葉を教えてくれた。「世の中には3種類の人間がいる。チャンスに気付かない。チャンスに気付いて生かせない。チャンスに気付いて生かせる人間の違いだ。」「分かりやすいチャンスは罠。ヤバイと思った時がチャンスだぞ。お金と人脈があるとチャンスを生かせる。だから今から積み上げておけ」「人脈についてもみんな勘違いしている。人脈は自分にとって有益な人ではなくて、自分が与えられる人のことを人脈っていうのだよ」「自分が行動して感謝してくれる人が何人いるかが人脈だぞ」こんな言葉を教えてくれたね。」流石銀座の高級クラブに来る社長の言葉。メチャメチャ良い言葉たちです。

幼少時代

掘れば掘るほど面白い青木さんなのですが、子供の頃はどんなお子さんだったのでしょうか。「新しい遊びやルールを考えるのが好きだったね。公園で集まってみんなで遊ぶときに、わけの分からない遊びをしていたよ。ブランコ乗ってどっちが遠くまで飛べるかとか、水風船で遊ぶときにもルールを作っていたね。」そういう新しい遊びを考える子供っていますよね。それって今にも結びついていたりするのですか。「今はマーケティングの会社に入ったけど、企画を考えるのが楽しいね。情報量が増えているから、情報を選択するときに機能的な情報は無視されるようになっている。面白いなと思われるモノだったり、コトの提案の方が響くよね。そういったものを提案したり、話題性を演出することが面白い。これも考え方かな。」そうか。子供時分から好きなやり方とか興味ってあまり変わらないんでしょうね。面白いものだなぁ。他にも今の仕事での面白い部分ってどこにあるのでしょうか。「ナショナルメーカーの人から最近言われたことだけど、「社内的にヤバイと思うものほど上手くいくことが多い。みんなが上手くいくと思うものほどコケることが多い。」って話があってさ。こういう話ワクワクするよね。チャレンジしている方が面白さを感じられるんだよね。」なるほど。やっぱりチャレンジですよね。ヤバイこと僕もやり続けていきたいです!

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目の前のことを愛する

青木さんって築地の卸のあんちゃんから現在は大手クライアントを相手にするマーケターになっているわけですが、振り返ってみてどう感じているのでしょうか。「今までの仕事を総括するとコミュニケーションの部分をやっていると思うね。伝えることをやっている。人に何かを伝えていくのが、プロダクトなのか、仕組みなのか、魚なのか分からないけどね。」「凝り性だからゼロヒャクみたいな感じで、やると決めたらゴリゴリやっちゃうタイプ。マーケティングは今後も離れていかないと思う。自分自身に壮大なビジョンは特にないけど、今、目の前にあることを愛してやりたいね。」今、目の前にあることを愛するか。良い言葉です。青木さんって友人の結婚式の映像を作ったり、人を喜ばせていることが多い気がしますが、何か意識していることってあるのでしょうか。「世のため人のためにやるマインドが強いわけではないよ。ただ、手間だけど誰かのためにやっていることは自分にとって楽しい時間が増えるし、それをやることでみんなが喜んでくれる。そこに喜びを感じるね。自分の思う労力以上に喜んでくれるから。」「自分が楽しいと思うことしかやってないよ。無茶ぶり対応も「面倒だと思うか、試されていると思うか」で違うでしょ。」確かにそうっすねぇ。意識の置き方の違いですもんね。「最近、承認欲求を満たしてくれるSNSとかが多いけど、本質的に豊かなのは質の部分。分かち合う関係だったり、何かを与えられる関係。決してイイねの数ではないよね。」そうっすね。SNSの関係も良いけど、質の部分を大切に考える。そうやって考えている青木さんはとっても素敵だし、僕もそうありたいと思います。銀座の傭兵最高!

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僕はこう思った

鯖を鞄から出すところから、過去の経歴までとってもチャーミングな青木さん。なんなんですかね。こういう人って。もう僕は大好きなのですが、とんでもなくキャラ立ちされているんですよ。飲みの席で喋っていても面白いし、こうやって過去の話を聞いても、やっぱり面白い。「この人の面白さは天性のものなのかな。」なんて自分とのギャップを感じたこともあったのですが、話を聞くとそれだけではない気がしますよね。例えば、予備校生時代に勝てない相手を目の当たりにしたことで、自分はニッチの方向で行こうと決意した話。それを実行に移して築地で働いた話等々。自分が勝てないと気付いたときに、勝てるフィールドを探し、且つそれを実行する。そういった経験を積み重ねたからこそ、今の青木さんの面白さがあるんだなという気がしました。銀座の黒服バイトにしても、普通そんなところでバイトしませんもんね。って考えると、誰だって自分の自分らしい道を選んでいけば、面白い人生を送ることができるってこと。「今、目の前のことを愛する」という名言も出ていましたが、自分の道を見出し、そしてその道を愛する人こそ、豊かな人生を送れるのではないでしょうか。自分の道が見つからないのであれば、青木さんのように目の前のことを愛することで新たな活路が見えるのかもしれません。今、この瞬間を愛することから始めます。

今日のサシモニ会場


えんどう豆 - 大塚駅前/喫茶店 [食べログ]

感想:青木さんご指定の喫茶店。僕の好きな純喫茶風でなかなかの居心地の良さでした。ココらへんは良さ気な昔ながらの喫茶店が多そうですね。色々と開拓してみたいです!

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サシモニお相手募集

サシモニのお相手を募集しています!!都内及び神奈川県内であれば、大体どこでも出向いています!!
「記事にされるのはちょっと。。。」という方も、ご安心ください。もちろん、ご本人の承諾があった場合のみ記事にしておりますので、普通にサシで朝食をご一緒するだけで問題なしです。

ちなみに、僕が話を聞いてばかりのような印象をお持ちかもしれませんが、喋る方も大好きなので、出来る限り持っているものは、全てお伝えする所存であります。

「菱木とサシモニしてしてみよう」と思った方は、是非お気軽に下記連絡先までご連絡ください!

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世界中の人と一緒により良い世界を作るKULUSKA

今回はkuluskaというブランドで主に革を使った製品を作っている藤本さんとのサシモニ。ご夫妻で活動しているkuluskaはとっても素敵でワールドワイドのご活躍中。先日行われた「Fab10」というFab Labの国際会議においても過去10年のプロジェクトのうち、200以上のエントリーの中でもTOP15に選ばれたりと、世界的にも注目されています。一体どのようなことをやっているのか。そしてどのような経緯できたのか。色んな話を伺いました!!MAKERSという言葉が流行る前からモノ作りに向き合ってきた方のお話をぜひご一読ください!f:id:sashimoni:20140822141312j:plain

kuluskaの原点

kuluskaのお二人は現在鎌倉が活動の拠点ですが、元々はどちらで活動されていたのでしょうか。「2006年に会社員をやりながら広島で結成しました。周りの友人たちから「自分にとってちょうど良いモノがない。」という話を聞く機会があったんです。そんな話を聞いたことをキッカケにモノ作りを始めていきました。」なるほど。当初はどのようなスタンスで活動していたんですか。「作家は自分の作品やスタイルを売る手法が多いです。でも私達はその人にとって良いモノを作りたかったんです。自分の色を出すのも良いけど、「こうだったら良いな」と相手がイメージしているモノを作れたら良いなって。」うんうん。押し付けるわけではなく、あくまで相手あってのことなんですね。「フルオーダーで服を作るとお金も時間もかかります。なので、セミオーダーの手法をとりました。フルオーダーは1から10までオーダーできますが、セミオーダーは首元の襟とか、カフスやボタン。生地を選んだり、右腕と左腕のサイズを選べるようにしました。ある程度決まった中でも自由に選びながら遊べるんです。」セミオーダーの服。それ良いですね。服に対する思い入れが強くなりそうです。

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モノ作りの葛藤

kuluskaの活動ですが、現在はどうなっているのでしょうか。「革を扱ったものづくりやワークショップがメインになっています。2009年までは流通に乗せていたのですが、大量生産、大量消費に対して違和感を覚えるようになりました。」「衣食住の食のすごさを感じていて。飲食店が出しているモノは食べるとなくなります。でも、自分たちが作るモノは形に残ります。だから、いらないモノを作るのではなくて必要なモノを作りたいんです。」凄い。そういった気持ちで流通に乗せるのをやめるって、思ってもなかなか出来ることじゃないはずです。「自分たちのモノは作るけど、これだけ世の中にモノが満ち溢れているのに、「なぜモノを作るのか」を考えこんで、製作が出来なくなった時期もありました。」「自分たちの商品がいらないモノになるのも嫌だった。自分たちも気持ち良いし、みんなも気持ち良いモノを作れないか考えていましたね。」モノ作りに対して真摯に向かうからこその葛藤だったんでしょうね。そこまで向き合う姿勢ってホント大事ですね。

鎌倉での生活

そういえば、なぜ広島から出てきたのでしょうか。「広島ではある程度生活も上手くいっていました。ただ、東京で出来ることと地方で出来ることの違いや、東京の生活はどういったものかが気になっていたんです。」「違う生活や仕事がどうなるのかは楽しみだし、東京では楽しいことをやっていそうだという感覚もありました。それで2008年から鎌倉に住むようになって、旦那も私もこちらの会社に転職しました。」地方から見た場合の東京ってやっぱり僕のように東京圏で育ってきた人間とは、また違った見方があるのでしょうね。実際に東京で働いてみてどうだったのでしょうか。「東京が高回転で動いて、色んなモノがアウトプットされるのが分かりました。ただ、海とか山とかに近いところに暮らして、自然に囲まれながらモノ作りをしようと考え、鎌倉にたどり着きました。道を歩いて木々がある生活です。」確かに鎌倉には自然が残っていますもんね。住んでみていかがですか。「凄い良かったですね。鎌倉の人たちからは、何をしている人なのか聞かれないんです。名刺のやり取りもないですし。でも、どこに住んでいるのかは聞かれるんですよ。やたら握手したりハグする文化に暖かさを感じますね。」これ面白いですね。確かにどこに住んでいるかってよく話題に上がる気がします。狭い中に住んでいるからこその挨拶みたいなものですかね。

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場所が変えたもの

実際にこちらで生活して変わったこと等あるのでしょうか。「去年はランサーズというクラウドソーシングを提供している会社で働いてみて、いつどこでも働ける世界を自分自身が体現しないと、そういう働き方をする人が増えないなと思っていました。それで、ランサーズを退職後は、フリーでグラフィックデザインの仕事をやったりもしていました。」おぉ。結構幅広くやっているんですね。働き方ってまだまだ多様性が生まれそうですよね。「モノ作りで暮らせる人が増えたら良いなと思います。クラウドソーシングで暮らせる人が増える未来が実現できたら良いですよね。凄い小さなビジネスが回るだけでも地域を支えたり、お家でできる事で新たな世界が広がることもあるはずです。」そうですよね。これだけネットが発達した恩恵って、一つの場所に縛られずに仕事が出来るようになった部分もあります。クラウドソーシングはこれからの時代にピッタリはまりますよね。

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ワークショップ

kuluskaでは革を使ったワークショップも結構やっているようですが、どのような想いがあるのでしょうか。「モノを通じたコミュニケーションをやりたいんです。世の中って一見すると繋がっていないように見えるものがあります。でも、理解しあえれば一緒に歩んでいけるもの。そこを見えるように伝わるようにしたいです。モノはモノのままそこにあるだけじゃなくて、世の中や社会と共にある。」「革は今あるモノを余すことなく使えます。革の端っこの部分は作品としてあまり使わない部分、かつ商品になりにくい場所なんです。廃材として捨てるのではなく、"クリエイティブリユース"という形でワークショップを行うプロジェクトもしています。地域から出た廃材や、企業が廃材として出している部分の革も使用していますよ。」そうだったんですか。僕もワークショップをしている場面を何度か見たことがありますが、廃材とか使っていたんですね。ワークショップはどんな感じなのですか。「心が折れないくらいのサポートをしつつも、自由にやってもらいます。その人にとって欲しいものや、必要なものを作ってもらうんです。自分で作ると自分で直すこともできます。そして、作る楽しさを知るからこそ、世の中で流通しているモノに対しても価値を実感できるようになりますね。」確かに。どれだけそのモノを作るのが大変か、プロセスを経験することで理解できますもんね。面白いなぁ。

旅するkuluska

最近のkuluskaの活動はどうなのでしょうか。「今は全国各地を旅しながら活動しています。旅するkuluskaでは、その土地の素材を使うことが多いですね。例えば、鹿が取れる地域なら鹿の革を使ってワークショップをやりますよ。」それ面白い。地元の革を使うなんて、作り手からしても嬉しいでしょうしね。「オープンデザインプロジェクトの「旅するデザイン」も継続しています。オープンデザインとは、アイデアをシェアしあいながら、みんなに伝えると未来に繋げるグッドアイデアになるかもしれない活動のこと。」「私達のスリッパのデザインがアフリカで使われて商品となってアメリカのオバマ大統領まで届いたりしました。」凄いですね。普通は知的財産権云々とかいうところを、オープンにしちゃうんだもんなぁ。どういった深層心理があるんですかね。「モノ作りの世界で周りにずっと頑張っている人がいます。だけどモノ作りをしながら暮らしていくのが難しい人もいるのが実態です。諦めずに出来るやり方があれば、実現してシェアしたいんです。続けられる方法があったら、みんな続けられたら良いのになと思うから。」素敵。素敵すぎる。スリッパをオープンにしたことでアフリカの人の仕事が生まれたりしているんですもんね。これからもモノ作りの新たな世界を拡げていっていただきたいです。kuluskaの今後がメチャメチャ楽しみです!!

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僕はこう思った

とても素敵なご夫婦でやられているkuluskaさん。当たり前かもしれませんが、とっても素敵で良い人達なんですよね。気持ちの良いお二人です。だからこそ、自分たちのことだけではなく周りの人。ひいては世界の人達に貢献することまで具現化できているんだと思います。でも、勝手な僕の思いかもしれませんが決して高尚なところからスタートしたわけではないのだと思います。スリッパのオープンデザインの話にしても、たまたまノルウェー人の人が鎌倉のfab labを訪れたときにkuluskaのデザインに惹かれて、彼がアフリカに行ったときに現地で困っている人と出逢い、そこからお二人に話がいってデザインがオープン化されていったわけです。つまり、人と人の小さなキッカケから、世界規模に話が広がっていってオバマ大統領の手元に届くまでになったということ。小さなキッカケを大きな形にしていったわけなんですよね。もちろん決断を伴うときに勇気が必要だったのかもしれませんが、目の前の小さなチャンスだったり機会を丁寧に拾っていくことが、未来を開ける要因になるのではないかと考えさせれました。ホント今後のkuluskaさんの活動が楽しみです!

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kuluska情報

HP 


kuluska(クルスカ)

FBページ


kuluska | Facebook

ワークショップ

9月21日(日)に鎌倉でワークショップが行われるそうです。詳細は上記リンク先のFBページに記載があるので、ぜひチェックしてみてください。

画像にあるような素敵なレザーケースが作れちゃうみたいですよ!!

今日のサシモニ会場


COBAKABA (コバカバ) - 鎌倉/カフェ [食べログ]

感想:鎌倉の素敵な定食屋さん!!朝から食べる目玉焼きは大好物です!店主のUPPONさんともサシモニしており近々公開予定なので、ぜひUPPONさんとのサシモニ読む前に行ってみてくださいね!!

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サシモニお相手募集

サシモニのお相手を募集しています!!都内及び神奈川県内であれば、大体どこでも出向いています!!
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ちなみに、僕が話を聞いてばかりのような印象をお持ちかもしれませんが、喋る方も大好きなので、出来る限り持っているものは、全てお伝えする所存であります。

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自分らしさが自分らしさを取り戻す

今回のサシモニのお相手は現在イギリスに移住中の久野ちゃん。20代後半にして海外に移住するという選択。日本で彼女が働いていた人事の仕事の話やイギリスでの話。そして震災に関する話等々。幅広く話を伺いました。今の若い女性がどんなことを考えているのか一端を知ることができるのではないかと思います。ぜひ彼女の話に触れてみてください!

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イギリスへの移住

サシモニした日はイギリスに移住する前のタイミングでした。今回の移住前にイギリスには最近留学で行っていたんですよね。「半年だけビザなしでイギリスに行ってきました。半分学校に行って半分遊びの生活です。5週間かけてバックパッカーもしましたよ。」なるほど。それがキッカケでビザを取得してイギリスに移住することになったわけか。イギリスってどんな国でしたか。「ご飯はやっぱり美味しくないけど伝統的な国でした。歴史も長いし、色んな分野における発祥の地。英語もそうですよね。実は発祥好きなんです。0から1を作ることに憧れを持ちますね。」やっぱりご飯は美味しくないんだ(笑)確かにイギリスは伝統って言葉がよく似合いますね。現地での仕事はどうするのでしょうか。「オフィスワークをやりたいので、現地でも就職先を探す予定です。日本に帰国したら英語を使って仕事をしたいので。オフィスで使う接遇マナーも学びたいんですよね。」ん!?現地で仕事を探す、、、一体どういうことなのでしょうか。

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イギリスでの仕事

イギリスに渡って最初の仕事はどうするのでしょうか。「とある日本食レストランで働く予定です。日本人のイギリスのワーキングホリデービザ枠は年間1,000人なのですが、ビザを取得した人の大体1割がそこで働いた経験があると言われるお店です。」1割って100人か。そんなお店があるものなんですね。どうして、そのお店で働くことになったのでしょうか。「60歳になるイギリス人の社長がいるのですが、前回イギリスに行ったときに、その人が教会で英語をチャリティで教えていて習っていました。」「その方にクリスマスパーティーのときにメッセージを送ったりして仲良くさせてもらっていたら、その方が日本に来ることが分かったんです。それで、私が帰国しているときに東北にアテンドして仲良くなったんですよ。」凄い。繋がるんだなぁ。一つ一つの出逢いを大事にしたんでしょうね。目の前の人を大切にするって当たり前のことだけどホント大事です。

 

人事の仕事

日本にいたときは人事の仕事をしていたそうですが、僕は全く未知の世界です。どんな仕事なのでしょうか。「人事の仕事の難しさは正解がないところです。あと評価面ですね。優秀な人が採れたとしても、結果が出るまでには時間がかかります。結果を出せるようになったら、「現場が育てた」という評価がされるときもある。採用した人が駄目だと人事が選ぶ人が悪いと言われることもあったりするんですよ。」なるほど。そういうこともあるんですね。では、人事の仕事の楽しい面は何なのでしょうか。「自分が採用に携わった人が会社で評価されるようになると嬉しいですね。」「以前の職場に入社しなかった人達からも会いたいと言ってくれることがあるのは人事冥利につきますよ。」えっ。入社しなかった人達と会うってどういうことでしょうか。「入社しなかった人達ともSNSで繋がっているから、今でも仲良かったり、会社の関係性がなくても会いたいと言ってくれるんです。」へぇ。それは嬉しいだろうな。なぜだと思いますか。「1人の人として向き合っているから、会社の枠を越えて仲良くいられるかもしれませんね。」うん。素敵なエピソード!!

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いじめ、いじめられ

僕から見て久野ちゃんは結構リーダーシップがある感じなのですが、昔からそうだったのでしょうか。「小さな頃から人をまとめるポジションをやっていました。でも、小学校6年生のときにちょっとそのポジションに疲れを感じたんです。それで、中学に入ってからは取り巻き側をやってみようと思ってやってみたら結構楽で楽しかったですね。」面白いな。小6でそんな疲れを感じることがあるんだ。んで、その後はどうだったのでしょうか。「中学生のときに取り巻き集団の中でいじめがあって、私が中立の立場になったら自分もハブられました。それでいじめられていた子と仲良くなって、その子と語るようになりましたね。その後はまたリーダー側の立場に戻って生きてきたので、あの時にいじめに加担していたら、ずっと取り巻き側でいたかもしれません。」そうか。いじめの現場で自分らしさをきちんと出したことが、元々の自分らしい世界に戻るキッカケになったんですね。そういう人が救われる世界であってもらいたいものです。自分らしさのキッカケなんて、どこにあるか分からないものですね。

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震災が教えてくれたこと

久野ちゃんは東日本大震災のボランティア等にもよく行っていました。どのような経緯があったのでしょうか。「震災前に留学を検討していました。でも震災があって「国内にこんなに大変な人たちがいるんだから、海外に行っている場合じゃない。」と考え、東北に行くようになりました。」そうだったんだ。全然知らなかったなぁ。「当たり前だと思っていたことが当たり前じゃない。日本人はみんな知ったのに何も変わらないですよね。「時間をムダにするな」ということを震災から学びました。何となく過ごして生きていたけど、今はやりたいことをやります。自分を変えれば何でもできる。だからこそ、イギリスに行くにあたっても不安はありませんよ。」そうだね。つい目の前の日常に流されがちだけど、目の前の日常ほど有難いものってないからね。

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精神的ドM

イギリスに暮らす。行ったことがないので想像もつかないのですが、色々と日本との違いはあるんでしょうね。「イギリスでは水子が医療ゴミ扱いになります。そんな話を現地の人としていると文化の違いを感じます。だからこそ、またイギリスに行って色々と知りたいと思う気持ちになりました。」水子が医療ゴミか。それは大きな違いだなぁ。でも30歳手前で移住ってまた思い切った決断だよね。「精神的ドMなんです。程よくMでいることの心地よさってあります。自分で全部選んでいるから、出来るところまでやる。次こそちゃんとやろうって思い続けています。」たくましいですねぇ。他にも意識していることってあるのでしょうか。「夢は逃げない。逃げるのは自分。昔から好きな言葉なんです。苦手なことも欠点を補えるようになれれば良いですよね。逃げているわけではなくて違う視点で動き出す。そういったことを繰り返していけば、例え自然災害でも受け止め方次第で誰のせいにもしないし、楽になりますよね。」うんうん。こうやって考えられる人だったら異国の地でもきっと得るものが大きい生活を過ごせるんでしょうね。帰国してまた会う日が今から楽しみです!!

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僕はこう思った

久野ちゃん面白い子です。色んなエピソードがありましたが、個人的にはいじめの話が面白かったですね。恐らく彼女だって自分が中立の立場になったら、どのような扱いを自分が受けるかウッスラとは感じ取っていたと思うんです。それでも自分の正義を貫いて、中立の立場をとった。その勇気って中学生のときってなかなか持てなかったりしますよね。芯の強さというか。しかも、それがキッカケで自分らしい立ち位置に戻るなんてエピソードも素敵じゃないですか。これって別に子供時分の話だけではなく、大人になっても同じような境遇に立つ場面ってありますよね。そのときに自分はどう行動するのか。もちろん周りのこととか考える必要はあるけど、きちんと考えて行動し、相手の立場も取った上で、自分の信じる道を進む。後から後悔することには決してならないのではないでしょうか。僕もそう信じているからこそ、自分の道を突き進んでいきたいと考えています。過去に周りの人から批判されたり、白い目を向けられることもありましたが、今振り返ると結局全て良い経験になっていますからね。ガンガンいこうぜ!!

 

今日のサシモニ会場

楡 (NIRE) - 新宿/喫茶店 [食べログ]

感想:新宿駅京王線と繋がる地下通路を使って改札を出るとすぐあるお店。アクセスがメチャメチャ良いので助かります。ここのシナモントーストは結構好きです!

サシモニお相手募集

サシモニのお相手を募集しています!!都内及び神奈川県内であれば、大体どこでも出向いています!!
「記事にされるのはちょっと。。。」という方も、ご安心ください。もちろん、ご本人の承諾があった場合のみ記事にしておりますので、普通にサシで朝食をご一緒するだけで問題なしです。

ちなみに、僕が話を聞いてばかりのような印象をお持ちかもしれませんが、喋る方も大好きなので、出来る限り持っているものは、全てお伝えする所存であります。

「菱木とサシモニしてしてみよう」と思った方は、是非お気軽に下記連絡先までご連絡ください!

Email:hishiki0519アットgmail.com
FB個人ページ:https://www.facebook.com/yutaka.hishiki

怪人によるデザイン

今回のサシモニのお相手は桑畑タケルさん!!僕がFBでサシモニのアップデートを投稿すると、いつも「ヒシモ二良いね」とか「アサモニ最高」といった、お茶目っぷりを見せてくれるタケルさん。お陰様でアサモニと間違われる機会が多くなっている気がします(笑)そんなタケルさんですがジャンプスタートというデザイン系の会社をやっている社長さんです。タケルさんって不思議な雰囲気をお持ちの方で何を考えているんだか、一見よく分からなかったりするのですが、話を聞けば聞くほどとっても魅力的な方だとあらためて実感できました。ぜひご一読ください!!

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オペラ座の怪人

タケルさんに対して不思議な人という印象を持っている人は僕以外にもいそうですが、ご自身は周りからどんな人と思われているイメージがあるのでしょうか。「うそ臭い人間と思われているんじゃないかな。人によって、おとなしい人と言われたり、うるさい人と言われたりする。その人の期待に合わせてキャラを作っちゃうんだよね。自分に自信がないからだろうけど。」「仕事だと他人の会社を表現するのは出来るけど、自社だったり自分の表現になると難しいね。」他者のことは表現できても自分のことって難しいものなんですね。「映画の「オペラ座の怪人」を見た時に自分は怪人と一緒だなと思ったんだよね。彼は愛する人をプロデュースするのは上手だけど、自分の気持ちの表現は下手。ようはモテたいんだけど自分のことになるとダメなんだよ。」モテたい。男として大事な思考ですよね。「会社経営を含めて人に恵まれてきているね。小中高大学と一番賑やかなクラスにいたし、先生も好きだった。自分が人からモテてきたと分かったとき、周りにもそうなって欲しいと思ってさ。うちの会社に入社したらモテるようになってもらいたい。」人間の本質的な欲求として「モテたいんや!!」ってありますよね。別に異性だけじゃなく同性からや、世代を越えた人を含めて。モテるようになる会社。とっても魅力的です。

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起業の経緯

ジャンプスタートも現在7年目ということなのですが、どのような経緯で起業することになったのでしょうか。「29歳のときに会社を作ったけど、元々経営者になりたい独立意識はなかった。新卒で大日本印刷に入ってデザイン仕事のメイン部分をやらせてもらったから、1年半でやりたいことがなくなってしまってね。それで多摩美の大学院に入ったんだ。」大企業に入って1年半で辞める理由が「やりたいことをやれたから」って凄いですね。「学費のことを考えて、友人の兄から仕事をもらっていたら、いつの間にかフリーランスで仕事ができる状況になっていたんだ。」「卒業したら就職しようと思っていたけど、周りの経営者に相談したら「仕事があるんだったら、自分でやれば良いじゃないか。」と言われて、「それもアリだな。」と思って作った会社がジャンプスタートなんだよね。」不思議な流れですね。会社を辞めて大学院に行ったのに、その環境のお陰で独立して会社を作れる環境ができてしまったわけですね。人生何が起因して変わるかなんて分からないものですね。

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ジャンプスタート

会社を作るときって色んなやり方があると思うのですが、ジャンプスタートの場合はどうだったのでしょうか。「1円起業とか格好悪いと思う変なプライドがあって、1,000万円集めようと思ったんだ。でも資本金1,000万円だと消費税の課税会社になることが分かって、周りの経営者の人達にお願いして700万円集めた。自分がお世話になった人達が出資してくれてスタートした会社なんだよね。」凄いな。29歳で個人の人徳で700万円集めるって誰でもできることじゃないと思います。「いきなり社員5人雇って始めてさ。デザイナーとして力はあったと思うけど、マネジメントの経験なんて皆無だし、請求書と納品書の違いを覚えるところから始めていったね。」若かりし頃ってやつですね!今ではどんな状況なのでしょうか。「メインの業態がデザインなのは変わらないよ。現在は正社員が3人。パートが2人。業務委託が3~4人。会社を大きくしたい気持ちはあるね。自分たちのやっている事業インパクトを出したいから。自分たちが生み出しているクリエーションが、より多くの人の人生のキッカケになるようにしたいね。」より多くの人の人生のキッカケですか。素敵です。

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モノじゃなくコト

僕の友人でもデザイン系の会社の社長がいますが、ジャンプスタートの他社との違いってなんでしょうか。「モノじゃなくてコトから考えること。目的のために何が出来るかを考えられる。だから経営者に喜ばれる。全体感を把握した上で、最適化を図るイメージだね。経営のノウハウは体系的に分かっていないかもしれない。けど、経営の苦しさや喜びを体験しているから共感できるしね。」モノじゃなくてコトから考えるね。うんうん、メチャメチャ大事ですよね。「この4,5年は自分の個性をあまり考えてないね。自分で個性を意識しなくても相手が感じられるものが個性。何でも個性を出そうとすると自分の押し付けになるしさ。」デザインにおける個性って難しそうですね。「昔は相手が自分の個性を欲しくて仕事が来ていると思っていたけど、今はクライアントを理解することが大事だと認識している。」「相手を受け止めながら確認していくと、相手のニーズが明確になっていくからね。それが一番クライアントにとって欲しいものではないかな。」なるほど。相手の理解から全てが始まるわけですね。「桑畑と話をすると事業プランまで明確になる。それをデザインに落とし込む。それがジャンプスタートの力。」良いですね。デザインの話を相談して事業プランまで明確になる会社ってなかなかなさそうです。

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デザインの世界へ

僕は絵とかそういったものが全くの苦手なのですが、どういった経緯でタケルさんはデザインの世界に入っていったのでしょうか。「元々絵が得意なんだよね。同窓会に行っても「絵が上手かった」としか友人から言われない(笑)国語が苦手で人の文章を理解するのが出来なかったしね。」そうなんだ。言語の人じゃなくて、視覚の人だったんでしょうね。「学生時代に先生から頼まれて、DVDのデザインを作って1万円貰えたことがあってさ。自分の好きなことをやって、お金をもらえることが嬉しかった。自分がやりたいことをするためにはお金を払う必要があると思っていたのに、やりたいことをやってお金を貰えることの喜びに気付いた瞬間かな。」それは良いキッカケですね。やりたいことやってお金貰えるのは、個人の幸せの最大化の1つかもしれませんよね。ちょっとしたエピソードが人の人生に大きく影響を与えるものですね。

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伴侶との出逢い

そういえば、タケルさんは奥さんと一緒に仕事をしているそうですが、どのような経緯があったのでしょうか。「嫁とは知人からの紹介で出逢って、しばらくして仕事を探していることを知ったので、社員になってもらった。3年くらい一緒に働いてから結婚したよ。」そうなんだ。奥さんと一緒に仕事をするってどうなんですか。「嫁に対してはできるかぎりオープンにしているよ。オープンにするというよりも、一番の相談相手なので必然的にそうなる。ほとんど一方的に支えてもらっている関係だね。」良い関係なんですね。他に奥様の魅力はありますか。「価値観もフィーリングが合うし、本人が献身的な人だから人を立てようとする。だからこそ、そういう人に対して幸せになってもらいたいと思う。そういう人が幸せになる世の中になってもらいたい。」おいおい!とんでもなく素敵なエピソードですね。人柄はどんな方なのですか。「今まで出逢った女性の中でもダントツに話を聞くのがうまい人。共感力が高いんだよね。」良いな。素敵だな。僕もこんなことを言える奥さんを早くみつけなきゃ!! 

クリエイティブを伸ばす

最後にタケルさんのやりたことってどんなことがあるのでしょうか。「日本はクリエイティブの国だと思うから、作る喜びを知る体験を多くの人に伝えていきたいね。」「雇用を通じても拡げていきたい。今まで同じ業種の仕事をしてきた人が、うちの会社に入社すると「面白さが違う」と言ってくれるから。それは嬉しいことだよね。」同じ仕事をしているはずなのに、違う面白みを感じられるのは良いですね。なぜなんでしょうか。「1つに責任が重いスタイルでやっているからかもしれない。クライアントが直で要求してきたものを求められているし、期待が大きいと頑張れるもの。」仕組み的な話ですね。うんうん。責任持てる仕事って大事ですね。あとはやはり技術的な部分の話もあるのでしょうか。「デザインには知識と技術は間違いなく必要。それと同時に発信者が人で、受け手も人であることを理解できているかが大事だね。デザインはコミュニケーションのツール。そこがブレちゃうとダメだね。」何のためのデザインであるか。それこそジャンプスタートの得意な部分なんでしょうね。今後のジャンプスタートのクリエイティブがどう世の中を変えていくのか、とっても楽しみです!!

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僕はこう思った

普段はふざけたやり取りをすることが多いタケルさん。仕事の話等を真面目に聞く機会が今まであまり多くなかったからこそ、意外な一面を知れる良い機会となりました。それにしてもオペラ座の怪人理論は面白かったです。確かに怪人はプロデュース力があって想い人を一流の道へと導いたのですが、自分自身の想いは成就しなかったわけですよね。不思議なものですね。自分のことは苦手でも、相手のことなら出来るって。きっとタケルさんのデザインのスタイルもドンドン変化していて、文中にあった「昔は相手が自分の個性を欲しくて仕事が来ていると思っていたけど、今はクライアントを理解することが大事だと認識している。」って話も、ドンドン怪人よりの思考になっているわけですよね。でもそれこそがデザインを作る人にとっては大事な思考なのかもしれません。なぜならデザインの仕事って殆どがクライアントワークだから。だとすると、相手のニーズをキッチリと取り込んだ上で、どのようにして相手の期待を越えていくかが大事になります。相手のニーズが分かっていなければ、デザインを作る上での基礎は築けないはずですからね。怪人タケル。一体今後どうなっていくのでしょうか。オペラ座の怪人のように世間をあっと言わせるプロデュースを今後も楽しみにしていきたいと思います!

 

タケルさん情報

会社HP:Jump Start 株式会社-ジャンプスタート 人と企業を活性化する広告の企画・制作 - Design & Dialogue -

鎌倉の会社合同説明会:鎌倉の会社説明会 - 鎌倉で働く社長たちの本音|カマコンバレー

9月13日(土)にタケルさんのジャンプスタート含め鎌倉の会社が集まる合同会社説明会があります!!生タケルさんと飲みにもいけますし、他にも魅力的な社長達がたくさんいらっしゃるので、興味のある方はぜひご参加ください!!